『パラサイト』ロバート・ロドリゲス監督作

アカデミー賞作品の『パラサイト』ではありません。映画のタイトルを見た時、この作品を思い出しました。
話はアカデミー賞になりますが、ポン・ジュノ監督が日本プレミアで来日しました。インタビューでは監督は映画『パラサイト』の臭いのキーワードについて、「映画はイメージとサウンドで伝えるものなので、臭いを表現することはとても難しいものですが、すぐれた俳優たちの表現によって、それがよく描けたと思います。臭いを嗅ぐしぐさ、自分から臭いがするのではないかと心配する表情などです。

 臭いというものが、この映画が伝えているストーリーに似合っていると思いました。貧富の格差に先立って、人間に対する礼儀について描いています。人間に対する礼儀が失われたときにどんなことが起きるのかを描いた映画でもあります。

 臭いは、普段の生活の中で感じたとしても、人間に対する礼儀に関わることなので、それを話すことはなかなか難しいものです。臭いは、その人の生きている環境や生活条件、労働条件を表すものです。映画の中では、意図せず臭いについての話を聞いてしまい、人間に対する礼儀が崩れ落ちる瞬間が描かれています。ある一線を越えてしまった状況が描かれています」

と、語っておりました。礼儀を描いたんですか、でも最後は家族の絆みたいなものを描いてましたから家族のドラマであったことは確かなようです。



f:id:mattensan02:20200225143727j:plain



本作『パラサイト』は、98年アメリカ映画でロバート・ロドリゲス監督によるクリーチャーものの映画です。印象的だったのは本作のストーリーよりもキャスト陣でした。『ロードオブザリング』のイライジャ・ウッド。『パールハーバー』のジョシュ・ハーネット。『ワイスピ』シリーズではポール・ウォーカーの恋人・妻役だったジョーダナ・ブリュースター。そして『ターミネーター2』のT-1000役のロバート・パトリックなど、錚々たるメンバーを揃えての代表作の一作?に数えられるのではないかと思います。

内容は何処の高校にでもあるような話しと縮図の中に、先生、生徒、コーチらに寄生虫がパラサイトしていったらどうなる、という映画なんですが、これも色々と解釈が見い出せそうな映画です。私は解釈云々は苦手なので割愛しますが、学校という社会性のある場所ではフラストレーションが溜まりやすい、寄生虫からパラサイトされる事によりモンスターとなって、お互いに本音がぶつかり合うとどうなるか?、みたいものを表現してそうな映画なのではないでしょうかね。学校中、大パニックになりながらも最後のオチがいかにも学園ものって感じになります。これ面白いんですが、大きく展開しても最後のオチのせいでユルい学園パニック映画になってしまっているのがちょっとね。

アカデミー賞作品『パラサイト』について思うこと。

ほとんど愚痴かもしれないが、前々から思っていた事なのです。映画ブログなのであえて厳しく述べたいと思う。もしかしたらこの記事が消されるかもしれないが、本当に映画が好きな人間だから言わせていただきます。

アカデミー賞作品の『パラサイト』が話題になりましたが、アジアの韓国映画アカデミー賞を獲る時代になってしまったのも驚きなのだが、日本映画は黒澤明監督が亡くなってからはハリウッドからソッポを向かれ、見向きもされなってしまった。スピルバーグを始めとするアメリカの著名な監督が来日すると「クロサワ~」たまに「ミヤザキ~」宮崎駿はアニメーションの監督なのに、本当に日本は黒澤明だけで、黒澤監督が日本映画を絶頂を築き、そして衰退させてしまったように思う。黒澤明監督の後にはアジアではジョン・ウーアン・リー監督、そしてポン・ジュノ監督とアジアの映画監督がハリウッド映画界に進出し、ハリウッドで映画を撮っている。日本人はまったく相手にされない。日本人監督がハリウッドで映画を撮った作品があるだろうか?あるかもしれないが私は知らない。日本映画の歴史はおよそ120年であるが、大昔は映画大国だったのにハリウッド映画界からは全く相手にされなくなってしまった。かと言って日本映画が悪い作品ではない、なのにどうして見向きもされなくなってしまったのか?答えはやはり黒澤明監督があまりにも巨大な存在だったのから?、又は、もしかしたらハリウッド映画界と日本映画界には何か溝と言うか確執みたいなものがあるのかもしれない。
日本映画界もハリウッド、世界進出したいのであれば、まずは和解し、スポーツの世界のように外国人監督に日本映画を撮ってもらえばいいんだよ。クリント・イーストウッド監督作の『硫黄島からの手紙』みたいにね。やっぱり日本映画とは全然違ってましたからね、あの映画は。お金は掛かるかもしれないが、そこから世界に通用する映画の撮り方を学んでいけば良いと思う。往年の映画大国としてのプライドか、黒澤明という歴史的な文化遺産の存在が邪魔して出来ないのであろうか、、。そうでもしないと日本映画は世界に通用する映画を撮るのはまず無理だろう。現時点では韓国の方がずっとずっと日本映画より上である。現実、アカデミー賞がそれを証明している。なんかハリウッドから日本映画界は舐められてる感じする。

アカデミー賞の祭典も近年は、映画界のワールドカップ的なものに変わりつつある。『グリーンブック』などもトロント映画祭で勝ってきた作品だったし(アメリカの作品だったが)、今回の『パラサイト』もカンヌ国際映画祭パルムドールの映画だ。外国語映画賞が妥当なはずだが、『パラサイト』アジア作品が獲ったことは何か意味がありそうで、今後はアカデミー賞の祭典は、世界映画のワールドカップコンペティションになる可能性があるかもしれない。たまたま偶然か?いや、そうなってくれた方が面白い。映画はただ観るだけから、スポーツ観戦のように世界中の映画が競い合い、勝ち抜いた映画を観るというスタイルに変わろうとしているのかもしれない。


f:id:mattensan02:20200222114710j:plain

『ハロウィン』

f:id:mattensan02:20200220154406j:plain



1978年製作/89分/アメリ
原題:Halloween

【スタッフ・キャスト】

監督・脚本・音楽:ジョン・カーペンター
脚本・製作:デブラ・ヒル製作総指揮:アーウィンヤブラン


ドナルド・プレザンス

ジェイミー・リー・カーティス

P・J・ソールズ

ナンシー・キーズ


【ストーリー】

15年前、包丁で自らの姉を殺害したマイケルが精神病院を脱走し、ハロウィンの夜に故郷に戻る。担当医ルーミスの追跡をよそに、白いマスクをつけ、包丁を手にしたマイケルは殺戮を繰り返すことに。ベビーシッターのアルバイトをしていた女子高生ローリーも命を狙われるが……。ジョン・カーペンター監督の名前を世界中に轟かせることになった大ヒット・ホラー。神出鬼没のマイケルのキャラクターは人気を博し、シリーズ化された。



【作品レビュー】


ジョン・カーペンターが恐怖の美学をまざまざと見せつける『ハロウィン』1978年製作の映画だが、私が最初に本作を見たのは小学生の頃に観た『13金』や『バーニング』よりずっと後だった。当時は『ハロウィン』は人気がなく、どちらかと言えば『13金』や『エルム街...』などの方が人気が高かった。なので最初に『ハロウィン』を観た時の感想はスプラッター映画の範疇ではあるものの、それらのホラー作品よりはブギーマンは大人しめ、と言う印象だった。
確かにジェイソンやバンボロ、ハリー・ウォーデンはとにかく残酷で、残忍極まりない激しさがあったが、ブギーマンはじわりじわりとその存在、「恐怖」を少しずつ見る者に植え付けていく、ムッツリ型タイプの殺人鬼という感じがある。
しかし、それまでのただ残酷描写が過ぎる激しいだけのジェイソンタイプの殺人鬼に飽き飽きしていたし、それに比べブギーマンは違った魅力があった。
ブギーマンとは、子供たちの恐怖の象徴ようなもので、ジョン・カーペンターはそうした想像上の恐怖のようなものを表現したのであろうと感じる。

映画の冒頭ではマイケル少年の主観(P. O. V.)でマスクの目穴からのカメラショットで見せている。ここにもJ.Cの拘りがあって、外からのアングルからではなく犯人の目線でまざまざと恐怖を見せつけたのである。
まるでヒッチコックの『サイコ』のようだが、私はJ.C流の目穴のショットが好きだ。
そしてジェイミーリー・カーティスは、本作でスクリーム・クイーンとしての地位を確立させ、J.Cの大好きな映画『THE THING』(遊星よりの物体x)をテレビ鑑賞するシーンも盛り込まれ、いかにJ.Cがハワード・ホークスに影響されたかが窺える。
J.C は即席で過激な怖さよりも、人間の奥底にある根本的な怖さ、みたいなものをブギーマンの物体として突き詰めたなのではないだろうか。しかし後にJ.Cは『THE THING』のリメイクを撮ることになる。本作の監督、脚本、音楽とは、まったく多才だ。



f:id:mattensan02:20200220154421j:plain

『ヘル・オブ・ザ・リビングデッド』


f:id:mattensan02:20200218085809j:plain


ヘル・オブ・ザ・リビングデッド(1980)』


製作国:イタリア/スペイン

上映時間:99分

監督:ヴィンセント・ドーン(ブルーノ・マッテイ)

脚本:クラウディオ・フラガッソ/J・M・カニルス

出演者

マージット・イヴリン・ニュートン

フランコ・ギャロファロ

セラン・カレイ

ロバート・オニール

ギャビー・レノム

ルイス・フォノル

パトリツィア・コスタ


【ストーリー】

ニューギニアの化学薬品工場で突如ガス漏れ事故が発生。流出した毒ガスにより人々は血肉を求めるゾンビと化した。政府の密命を受け、特殊部隊が凶事の震源地に潜入するが…。




【漫画チックな作風がオリジナルティーか?】


また怪しげなタイトルのゾンビ映画だな~、『ヘル・オブ・ザ・リビングデッド』!!タイトルからして観る気が失せそうなゾンビ映画なのだが、この映画ってゾンビフリーカーの間では結構有名な作品らしく、その格言に乗ってしまい当時DVDを買ってしまった思い出があります。で、観た訳ですがこれは序盤からいきなりロメロの『ゾンビ』で使用したゴブリンの音楽が流れます。ん、?どういう事?ってなる訳なんですが、どうらや『ゾンビ』の製作時にプロデューサー陣営がゴブリンの音楽を使用する権利を取っていたとの事、なので始めっから二番煎じを作り気でいたようです。本作の監督名はビィンセント・ドーンという名前になっておりますが、複数ペンネームを使い分けてます。当初はジョーダン・A・マシューズという名前で撮る予定だったらしいのですが、スペイン側から変えろと言われて「ビィンセント・ドーン」のネームで監督したもようです。ブルーノ・マッティは約50本くらい映画撮ってるらしいのですが、恐らく製作資金の出資対策のため名前変えていたのだと思われます。「私の映画は漫画のようで、息子みたいな存在、全ての作品を取り直したい」なんて特権映像で語っていたが、当初は2つの案があったようで、マッティ監督が選んだ方はプロデューサーに却下され、やむを得ず本作品になってしまったという。感想の続きを述べると、オープニングとエンディングだけ良かった。私にはどうも漫画的な要素を求め撮るマッティ監督の作風に追いて行けなかった。ただグロ、ゴアシーンは中々のもで良かっただけにウザったいコミカルなシーンのお陰で台無しにしてしまったという印象。ゴブリンの音楽とか使わないで、オープニングテーマで使った曲たぶんオリジナル?の曲でいいからシーンに盛り込めば充分。あの食人族のロケーションも資料映像を挿入し、編集でそれらしく見せロケ代を浮かせ工夫を凝らした。原住民ゾンビと戦うシーンも余計な会話とかが間延びしてテンポが悪く、イライラが募るばかりだった。オリジナルティのなさ、とか『ゾンビ』亜流なんて囁かれている本作だけど、本人にリスペクトがあるなら真似ることは私は別に良いと思う。ただ漫画的に描いてしまったのが残念。ラストシーンはヒロインの残酷な殺られた方が一番のハイライトシーンかな、そんな漫画のような作風こそが最大のオリジナルティーといったところか。



f:id:mattensan02:20200218085840j:plain

『要塞警察』


f:id:mattensan02:20200215151825j:plain


1976年・米/原題:ASSAULT ON PRECINCT 13
監督・脚本・音楽:ジョン・カーペンター
製作:J・S ・カプラン/撮影:ダグラス・ナップ
美術監督:トミー・ウォーレス
編集:ジョン・T・チャンス(ジョン・カーペンター)

出演:オースティン・ストーカー/ダーウィン・ジョストン/ローリー・ジマー/他


サイレンサーに掻き消された見えない恐怖】


無人同然の警察署が襲撃を受け、ストリート・ギャングたちとの銃撃戦の応酬を繰り広げるサスペンス・アクション『要塞警察』。
ジョン・カーペンターは、ハワード・ホークス監督、ジョン・ウェイン主演の西部劇『リオ・ブラボー('59)』に喚起され、本作を現代版にリプレースした。物語はアメリカL.A.犯罪多発地域のアンダーソン地区の13分署、その臨時署長として黒人警部補ビショップが就任した。事の発端はストリート・ギャングたちの契りによって血行された犯罪に警察署が狙われてしまう劇だがJ.Cは前作『ダーク・スター』の宇宙から、舞台を一気にアメリカの犯罪多発地域に移した。サスペンス・アクションながらドキュメンタリータッチで活写し、独特の緊張感とリアルティー、そしてウェスタンのテイストを生み出している。J.Cにとって自主製作に近かった前作とは裏腹に本格的な劇場デビュー作品となっているようです。

本作は、ストリート・ギャングにより狙われた移転中の手薄な警察署なのだが、迎え撃つのはビショップ署長と事務職の女性、そしてナポレオンという凶悪犯罪者なのだ。何と言うこのアンサンブル!絶対絶命の危機だからこの際、犯罪者も事務職も総動員して迎え撃つしかないという映画ではあるのだが...これは刺激的でクールな映画。これが飛びきりなモノという訳ではないのだが、何故だろう?この映画に魅了されるものは確かにある。サイレンサー付の銃器と言えばヒットマンが使用するイメージだけれど、ギャングたちが分署を襲撃するのは夜で、銃撃戦はそれまであえて迫力を出す為に猛々しいサウンドを重視してきた。ところが本作の銃撃戦はオフサウンド的な不気味さが恐怖を煽っている。13分署に籠城し、ギャングたちからの激しい奇襲があるのだが、サイレンサーから放たれる弾丸雨注するシークエンスが何とも怖く不気味である。書類が着弾で宙に舞い、まるで霊的な現象であるかのようにJ.Cは演出している。
夜なので近隣の迷惑だから静かに襲っているのか?自分たちは暗殺者だ!という無言のメッセージなのか、サイレンサーによって掻き消された見えない恐怖、そんなカーペンターの作風に惹かれた映画でもありました。


f:id:mattensan02:20200215174414j:plain

『血のバレンタイン』


f:id:mattensan02:20200214141822j:image

 

血のバレンタイン

1981年/カナダ

【スタッフ】

監督:ジョージ・ハミルカ

製作:ジョン・ダニング/アンドレ・リンク/スティーヴン・ミラー/脚本:ジョン・ベアード

【キャスト】

ポール・ケルマン/ロリ・ハリアー/ニール・アフレック

 

 

ガスマスクの炭坑夫の殺戮が止まらない1981年のカナダ製作のスラッシャー映画『血のバレンタイン』当時テレビ放映を観て震え上がったものです。

映画の残虐性についてあれこれ語るのは些か気が引けるので今回は、炭坑夫と炭鉱業にスポットを当てつつ作品に触れながら書いてみたいと思う。

はじめに「炭鉱」とは、石炭または亜炭(石炭化度が低いもの、褐炭ともいう)を鉱山から掘り出すお仕事。

石炭の採掘の歴史は、中国の考古学的形跡から紀元前約3490年以降とされ、当初はまず縦穴を掘ってから周囲を鐘状に掘っていくベルピット、樋押採掘と呼ばれる手法が取られた。

18世紀に入ると製鉄と燃料の需要が高まり本格的な炭鉱開発が始まった。イギリスにおいて燃料の需要は、産業革命蒸気機関の発展と歩調を合わせたもので、蒸気機関が紡績工場の原動力となり石炭が重宝されるようになった。

一方、日本では江戸末期より筑豊唐津地方で採掘され、石炭は個人消費されて薪の代用品だった。

(Wikipedia参照)

そして、本作『血のバレンタイン』でも発端となっていたメタンガスによるガス爆発事故も頻発しており、石炭を含む炭層には副産物としてメタンガスが溜まるのだそうで、その箇所を掘り抜いた時に発生してしまう。作業員は酸欠や一酸化炭素中毒に陥り、窒息死する可能性もある。メタンガスが大量に洞窟内に溜まると静電気や火花などの原因で爆発事故を誘発してしまう。そうならないようメタンガスの濃度を常時監視する必要があり、予めボーリングしてガス抜きをする必要があるが、それが十分でない場合はガスの突出を招き大規模な爆発事故につながってしまう。

 

 
f:id:mattensan02:20200214141958j:image

 

【ハリー・ウォーデンからの憑依を継承】

本作では、町の恒例行事である「バレンタイン・パーティー」の日に7人の炭坑夫が残業していたが、そのうちの二人が一刻も早くパーティーへ行きたくて、坑内のガス濃度を調べずに会場へ向かった。そのため爆発事故が起きてしまい5人の男たちは生き埋めになってしまう。6週間かがりの救出作業の間、唯一の生存者のハリー・ウォーデンは仲間の人肉を食べ、生き長らえていた。

ハリー・ウォーデンは精神に異常を来たし、精神科に一年間収容される。翌年のバレンタインに退院するが、事故を誘発した二人を殺害!心臓をえぐり出し!チョコ箱にブチ込み!血のしたたるその箱はパーティー会場に置かれた。添えられたカードには"バレンタインパーティーを開いてはいけない"警告を無視したものは毎年2月14日に現れその命を奪うだろう。時は絶ち20年後...ツルハシで残忍極まりない殺戮を繰り返す映画ではあるが、ラストを見る限りではハリー・ウォーデンにより殺害された男、その息子によって齎された被害者遺族の復讐劇であるかのように思えるが、その真相はハリーの怨念を憑依の継承者とし、過酷な労働環境で殉職した仲間たちの無念さを晴らしたエレジー(挽歌)として見る方が面白い。

私の親戚に炭坑夫だった人がいたが、体格がよくて物静かな人だったが、物事に対して我慢強い印象でした。過酷な労働であるがゆえに、どんな状況にも冷静に対処できるのだが、仲間たちを置き去りにし、必ずやるべき処置を怠った事への怒りのメッセージが込められている。スラッシャーものではあるが確かな遺言が見え隠れする。ただエンディングテーマ曲があらすじを歌っておりスラッシャー重視の"まんま"な歌詞で表現されてしまっているのが悔やまれる。だが、暗い炭坑の風景やトロッコのシークエンス、ガスマスクに身を包んだ殺人鬼のコスチュームは怖カッコいいし、日本のあのゲームにも影響を与えているような気がする。そして本作はフーダニットな要素も含み、犯人の視線となるカメラワークで観客を罠に掛けている。その視線に注目して観ると楽しめるのではないか思います。

 


f:id:mattensan02:20200214141842j:image

『ダーク・スター』

f:id:mattensan02:20200212150300j:plain




本作『ダーク・スター』は、ジョン・カーペンター長編映画初監督作です。ひと頃、私はカーペンター作品に没頭した。J.C作品はオスカーを獲るような映画ではないが摩訶不思議な魅力があった。今さら、という思いもある(今は全く観ていない)が、冷静に振り返って見ようと思う。

本作を略説すると牧歌的な宇宙SFって感じだろうか。この『ダーク・スター』は脚本が後に『エイリアン』を描いたダン・オバノンという事もあり、『エイリアン』の元ネタでもある映画でもある。パート2でビショップがナイフで手指間をトントンやる曲技、指ナイフもやっていたり、ワープシーンなんかは『スターウォーズ』の前にやってるから宇宙映画の前衛的作品でもあると思う。
前述で牧歌的と言ったのは、アメリカという国は基本的に農耕民族なんだそうだ、という諸説や根底があるらしい(本当か嘘か知らないが)移民としてアメリカに来て畑を耕し開拓してきた。牧歌、カントリーソングを歌いながら鍬を手に精を出してきた訳です。日本も一緒で、民謡とか三味線の何とか節を何番も曲っては一生懸命、米を作っていたのと同じように、そのフロンティアスピリットを、宇宙に舞台を移し牧歌的に恐らく描いたもの。宇宙コメディ、パロディだと仰るのが大半だけど私の映画観ではなく、開拓精神を尊重したい。

この宇宙船ダークスター号に乗ってる船員たちって、いかにも鬱屈って感じでのんびりしている。まず冒頭に宇宙嵐に遭い、船がトラブり船員たちはパニクってしまう。どうしよう!となって船長に相談って事になるんですが、その船長は前に船の不具合に遭ってとっくに死んでいる。このあたりが『エイリアン:コヴェナント』に受け継がれたようです。彼らの畑仕事というのは爆弾で惑星を吹き飛ばし、ワープで逃げる、の繰り返しなのだ。その爆弾装置が宇宙嵐の影響で壊れてしまい勝手に爆弾が機能してしまう。
船長は、冷凍保存されていて、恐らくはコンピューターが勝手に変換して船長と交信するのだが、殆どコンピューターの自我暴走に近く、船員たちはますます路頭に迷ってしまう。今度は旅先で見つけたペットにしているエイリアンから弄ばれ、もうメチャクチャにされてしまい、終いには爆弾に対して説得を試みる。この説得は当時の映画製作の苦労を隠喩したのかもしれない。鍬で石ころを片付けるように邪魔な惑星の爆発作業に追われ、クルーたちは疲弊状態。桑仕事は程々にカントリーソングをバックに宇宙サーフィンに興じてしまうアメリカンスピリットようなものは感じさせてくれる。後にサーフィンの描写は『エスケープフロムLA 』で再現されます。ニューシネマっぽい挫折をジョン・カーペンターが、学生時代に撮ったインディーズ作品を撮り直したもの。USC(南カリフォルニア大学)の学生だったJ.Cとオバノンが目指したのは「イージー☆ライダー」の宇宙版と『2001年宇宙の旅』、でもオバノンはもっと恐々しいもにしたかったはず。互いの方向性が噛み合わず、不完全な印象を受ける。本作のマスコットキャラ、ビーチボールのエイリアンが愛嬌を誘うが、当時「スターウォーズ」を製作していたジョージ・ルーカスから冷やかされてしまう。だがオバノンは後に『エイリアン』で名誉挽回してみせる(デザインしたのはギーガーだが)。VFXには後に業界をリードするジム・ダンフォースやハリー・ウォルトンなど才能溢れるメンバーが集結し、興行成績は奮わなかったが、『エイリアン』のプロトタイプとしてカルト的な人気を得ている作品。




f:id:mattensan02:20200213013939j:plain